2004年10月26日

度胸があるやらないのやら

テレビで鹿島アントラーズ×浦和レッズの試合が終わった丁度その時、地震が起きた。
どすんという音と共に、ここ新潟市も相当に大きく揺れた。

揺れの大きさ自体も驚きだったが、30分の間に何度も何度も大きな余震が襲って来るのは未体験であった。 余震は直接的な大きな揺れが収まった後でも、まるで船に乗っているかのようなゆっくりした揺れが1分ほど続くのだ。「巨人の手のひらでゆっくりと転がされている」ような、そんな感じの揺れは生まれて初めて体験した。

自慢じゃないが、私はずいぶんと冷静だったと思う。
バタバタと慌てるわけでなく、かといって固まっていたわけでなく。 一回目の地震で、今まで私が経験してきたそれとは全く違うと確信したので、揺れが収まった段階で通帳や着替えの衣類などをリュックの中に詰め込んで避難のための用意をした。

2度目の揺れが収まった時、私たちはリュックを担いでアパートの外に脱出。
しかし、周りの家の人は安心しきっているのか、それとも固まっているのか、屋外に出てきている人は本当に少数だった。 ましてや私たちみたいに避難の支度をして出てきている人はいなかったように思う。リュックを背負い、防寒のためにモコモコに着膨れている自分たちがさすがにちょっと恥ずかしくなった。

揺れが収まると部屋にもどり、玄関に厚紙を挟んでしまらないようにしておき(地震でゆがむとドアが開かなくなるため)、また地震がくると外に脱出。 そんなことを2・3度繰り返した。一時間ほどすると、ある程度揺れの頻度も収まってきて部屋に落ち着けるようになった。

私も決してすべての状況において冷静であるわけじゃないけれど、ここまで人知を超えた天災については腹をくくってしまう。というか、要はつまりあきらめちゃうのである。 どうせ人間ごときがバタバタ騒いだってどうにもならないのだ。だから腹をくくっちゃう。 この領域になると私は結構冷静だ。 ただ、余震が続く夜の9時に、いつもどおりにビールを飲もうとしたのはさすがにいかがなものかと反省したが。(冷蔵庫から缶ビールを持ってきた瞬間、妻にえらいこと叱られた)

問題は妻だ。
もともと精神的にひ弱なところがあった彼女は、かなりショックが大きかった様子。 さらに、彼女の妹が地震の被害が大きかった十日町にいることもダメージに拍車をかけてしまったようで、顔色がまるで酔っ払っているかのように真っ赤。そして「クルマ酔いをしたようで、吐き気がする」とふさぎこむ。 体温を測ると37度5分。

滅入っているくせに妙なところで生真面目だから、部屋から逃げる時もパソコンをきちんとシャットダウンしようとする。そんなの放っておけばいいのに。

このように、がさつなんだか余裕があるんだかよくわからない私に比べると、妻は悪いイメージが頭に浮かぶととことんそのイメージに絡め取られてしまう。そして益々どつぼにハマっていく。

どうしたら冷静になれるのか。どうしたらパニックで体調を崩すことなくいられるのか。 私たちは夜アイディアを出し合った。

妻は高校時代に演劇をやっていたことがあるらしいので、私はこう切り出した。

「地震がおきたら、『これはお芝居なの。地震のシーンのお芝居なの。これから私は避難するためのシーンを演じるのよ。さあ、みんな。私の芝居をごらんなさい』と、自分自身に思い込ませるってのは、いかがだろう?」




さて、地震のあった23日から既に3日経過した。実は今我が家は足の踏み場を探さなければならない状態である。 地震で家財が倒れているのではなく「地震が来ても家財が倒れないように」はじめから床に転がしているのである。皿とか茶碗とか鍋とかフライパンが台所の床に所狭しと置いてある。夜寝ぼけていると踏みつけてケガをしそうだよ。いくらなんでもそろそろ片付けようよ。妻。

既に余震も相当減ってきて新潟市は生活するのになんの問題も無いのに、相変わらず妻は夜になると不安で不安でたまらないらしく、布団に入っても1-2時間程度しか熟睡できていないらしい。 私が隣で すぴーすぴー と鼻息を立てて寝ていて、さらには震度2程度の余震では目を覚まさないのがうらやましくも憎いらしい。
結局妻は私が提案した 『私は地震のシーンを演ずる女優なのよと思い込む作戦』 が成功してないということだ。

ま、それが簡単にできるのならば、妻は今頃北島マヤになっていて私と結婚なんてしてなかったわけだが。
posted by ちゃきん at 21:13| Comment(0) | 日記
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