2004年10月25日

命のリレー

小学校2年生くらいの時だったと思うが、勉強の一環としてクラスで蚕を飼っていた。繭になるまでを観察するのだ。土曜日になると児童の一人が代表して自宅に持ち帰って世話をする。

手渡された箱には気味が悪いくらいに色の白い蚕がうじゃうじゃと這っていた。今日と明日、二晩私はこの蚕の面倒を観なければならないのだ。
桑の葉を与え、乾燥しすぎないように気をつける。そして月曜日にはクラスの蚕を無事に学校に持って行かねばならぬ。

子供心にものすごく緊張したことを覚えている。もしも自分が失敗してしまったらどうなるのだろう。ここまで皆が引き継いで育ててきた蚕を死なせてしまったらどうなるのだろう。頭がくらくらした。
それまで、虫を飼っても金魚を飼ってもおたまじゃくしを飼っても、そしてリスを飼ったときでさえ途中で面倒くさくなって簡単に殺してしまっていた。 でもあの蚕の箱を受け取った時、ガキだった私は生まれて初めて命を育てる重みを感じた気がする。




「磐田戦に行こうかねー?」などとのんきに妻と話をしていた20日。私の祖母が亡くなった。

90歳近くまで生きた祖母の葬式は比較的淡々と行われた。私の年下の従兄弟(女性)が、二ヶ月前に生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて、安らかに眠る祖母の棺を覗き込んでいた。
終わりを告げた生命と、これから始まる生命のコントラストになぜか私は ぐっ と来た。

棺の中に眠る祖母がこの世に生を受けなければ、あるいは若くして死んでいたならば、今、目の前で彼女が抱いている赤ちゃんはこの場に存在しなかった。
祖母の前にも沢山の命のリレーが何百年も何千年も引き続けられて来た。そして私がいる。途中で誰かが「やーめた」とリレーを引き継ぐのを放棄してしまったら私はいなかった。そんなあやういリレーを営々とやってたきのだ。

「苦痛の無い方法」で自殺を試みたネット上で知り合ったという男女は、小学生の時に蚕の箱を預からなかったのだろうか。その重みを感じなかったのだろうか。
posted by ちゃきん at 19:14| Comment(0) | 日記
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