2006年12月18日

知らなかった「FOMAの常識」?

先日、携帯の買い増しを0円で行ったことを書いた。それまでの携帯電話機の交換は古い機種を手元に置いていても飾りにしかならなかった。私はFOMAも同様かと思っていたのだが。

知らなかった。FOMAって、内部にあるFOMAカードを入れ替えればそのまま自分の携帯電話として使えるんだ。

知らなかったー!

ということで、新機種に替えたことで無用の長物だと思いこんでいた旧機種。バッテリーが切れたときの代用として十分つかえるんじゃん。

実は先日まで使っていたSH900iは、二年以上使っていたことからバッテリーが劣化。ところが嫁から教えてもらったことには、docomoプレミア会員になっていれば2年以上利用した携帯は無料で新品のバッテリーがもらえるという。冬になり気温が下がるとバッテリ持続が悪くなることもあって、10月頃に新品バッテリーを頂いたばかりだったのだ。
そんなこともあり、本当はワンセグ携帯がタダでもらえると聞いても、『バッテリーを交換したばかりだし、どうしようかな』と迷っていたくらいだった。

でも、結局0円で買い増ししたP901TVi。やっぱり使いにくい。そして重い。
確かに外出している最中、たとえば嫁の買い物待ちをしているときに車の中で時間を潰すには重宝しているが、電話として考えるとあまり気に入っていない。おやじである私はただでさえメールをプチプチ打つのが遅いのに、推測変換をしてくれない今の機種はますます時間がかかる。

つまり、旧機種に戻ろうか真剣に考え中の私。

さて、旧機種に戻した場合なのだが。不要になったワンセグ携帯を「誰かにあげる」ってのは可能なのかな。その人が自分のFOMAカードを差し替えれば済む話なのかな?
もちろんあげないけれどね。ふっ。続きを読む
posted by ちゃきん at 10:37| Comment(1) |

2006年12月22日

一身上の都合により

「一身上の都合により」
実は私も13年前に使ったことがある。辞表というのを書くときは緊張した。なにしろ初めてのことだ。書店に行って「辞表の書き方」なんて本がないかと探したものだ。そんな本、無かったけれど。

たとえば●●市役所経理課山田太郎さんの辞表も。たとえば◆◆商社総務部の鈴木花子さんの辞表も。その中身は「一身上の都合により」と書いてあるはずだ。それが世間のお約束というものだ。

さて、今朝の我が家のブームは「一身上の都合により」だ。その理由はもちろん政府税制調査会の本間正明会長が、奥さんじゃない女性と官舎で同居していたことが判明、辞任したニュースを受けてだ。

本間氏は21日朝に安倍首相に電話し「一身上の都合により、辞任させていただきたい」と話した。その日の記者会見は、本間氏を任命した責任をかわすべく記者の質問に対して「一身上の都合としか聞いていない」と繰り返す安倍総理。なんと便利な言葉なんだ。「一身上の都合により」

そんなわけで、朝のニュースを見た私と嫁のブームは「一身上の都合により」。

「ねえねえ、今日の夕飯は一身上の都合により牡蠣フライがいいな」
「一身上の都合により、今日の夕飯の準備は辞退させてください」
「そういうこと言うと、一身上の都合により浮気するよ」
「じゃあ、一身上の都合により離婚ね」

だいたいそんな感じ。なんと便利。理由を全然説明しなくて済む。すごいぞ一身上の都合により。

サッカーの監督が辞任する理由も「一身上の都合により」で済む。選手の引退表明も当然「一身上の都合により、選手生活を引退します」だ。意味わかんねーよ。 でも北海道日本ハムファイターズで引退したあの選手は実際に言いそうだけれどね。これが本当の「シンジョーの都合により」か、わっはっはっは。山田くん座布団全部とりなさい。

しかしね、実際問題こんないい加減な言葉で辞められては困るわけです。辞める理由をきちんと説明してもらおうではないかということで、20××年、「一身上の都合により」禁止令が発令される。

それにともなって辞表の中身もこうなった。

●●市役所経理課、山田太郎さんの辞表
「このたび私は、キャバレー「マハラジャ」のホステスあけみちゃんに惚れ込んだために、市民の血税1256万5246円を横領してしまいました。このままではやがて監査でばれるのは明らか。そのため明日12時発の飛行機でフィリピンに逃避することにしました。従いまして本日をもちまして職を辞めさせていただきたく、辞表願いを提出させていただきます」

◆◆商社総務部、鈴木花子さんの辞表
「このたび私は、田中社長と2年越しの不倫関係により妊娠いたしました。社長に報告したところ『妻と別れる気はない。今までのことは無かったことにしてくれ』と現金2千万円。さらにこれまで住んでいたマンションの権利書を渡されました。私もこれを機に不倫関係を清算することを決意。これまで押さえとしてキープしていた佐藤係長に「あなたの子供を妊娠したわ」と偽り、無事結婚の約束をとりつけました。事実関係がばれるとまずいので会社は辞め、専業主婦になることとしました。従いまして本日をもちまして職を辞めさせていただきたく、辞表願いを提出させていただきます」

真実の辞表理由に社会は大混乱。「一身上の都合により」禁止令はすぐに廃止されることとなった。

あぁすばらしきかな。「一身上の都合により」
posted by ちゃきん at 12:27| Comment(4) |

2006年12月25日

クリスマスイヴの晩。秘密パーティー潜入


クリスマスイヴの晩、山奥にあるにしては不釣り合いなほど豪奢なホテルに招待された私たち夫婦。今日は約束のないものは中に入れないらしい。確かにこれから行われる宴(うたげ)の内容を考えれば当然のことだ。入り口で受付を済まし、封筒をもらう。封筒の中には$の文字が書かれた怪しげな紙幣が入っている。


受付の様子を観察していた妻。「なんだかみんな知り合いみたいだよ。私たちみたいな『はじめて』の人は少数派みたい」と、ちょっと不安そうな表情を浮かべた。なるほど、そういうことだったのか。仕方あるまい。



私たちは二階に上がり、ホテルの奥にある宴会場に入った。ここが今日のパーティーの場所だ。様々な美味しい料理が並べられている。好きなだけ飲み食いし、参加者の腹が満たされてきた頃あいをみて、それまで隠されていた壁の扉がぎぎぎと開く。その奥にはルーレット、ブラックジャックなどの場が用意され、ディーラーが歓迎の笑みを浮かべていた。


私は手にしたブランデーグラスを回しながら葉巻に火をつけ、紫色の煙をゆっくりと吸い込んだ。そうなのだ。今宵、禁断の大人の世界が始まるのだ。 



っていう雰囲気を期待して行ったのに、ガキんちょが多すぎやんか。


広告代理店に勤める嫁が、「大人の事情のおつきあい」というやつのお願いを会社の社長さんからされたらしく、湯田上の「ホテル小柳、クリスマスカジノパーティー」に招待された。なんと経費会社持ちでだ。もちろんタダなら行く。いや、行かせてくださいぜひ。(しっぽふりながら)


当然だがカジノはあくまでゲーム。換金はできない。たぶん西原理恵子がいたら、「こんなんギャンブルと違うわぁ!なめとんのかおらぁ!」と叫んで暴れまくったに違いない。受付で渡されたのは100$と印刷されたおもちゃ紙幣が一人10枚。これを元手に遊び、最終的に手にしたポイントで上位3人までに景品が出る。ちなみに1位商品はホテル小柳ペア宿泊券だ。再度言うけれど、いくらポイントを稼いだところで、日本円に換金はできない。そんなことしたら警察に捕まるっちゅーの。


ということでちょっとでも考えれば分かるはず。換金できないチップ、参加者約150人の中で上位3位に入らないと景品がもらえないシステム。そうなのだ、上位3位にならなければ、あとはいくらチップを稼いでも屑にすらならない。賭け方のルールがいまひとつ分からないこともあるけれど、ブラックジャックなどでちまちま増やしていっても仕方がないわけだ。したがって私も嫁も、ルーレット台に張り付くことにした。嫁はちびちびとチップ1枚単位で3倍枠、あるいは9倍枠に張っていたが、あんなものは意味無いと思う。それを嫁に言うと「私は楽しんでいるからいいの!」と怒られた…


私はといえば、もちろん



漢(おとこ)勝負の一点賭け。これは当たればでかい。


が。


あっという間に、全部終わった。

posted by ちゃきん at 22:11| Comment(0) |

2006年12月28日

重い思い出

 30歳になるのを機に、私はそれまでの仕事を辞め新潟に戻ってきた。それから三年ほどの間、講師として中学の教壇に立っていた。
 サラリーマンとしてそれなりに社会を見て来てから突入した学校という職場は、まじめと不真面目がぐにぐにと混ざり合うなかなかに面白い場所であった。あのときブログというものがあったならかなり面白い記事が書けたであろうにと、もったいない気持ちがする。

 正規の教師とはちょっと違うので保護者と直接面談することはなかったが、それでも時々必要に迫られ話を聞くことがあった。「うちの子はいじめられてませんでしょうか」と半ば冗談めかして聞かれたことがある。それに対して私は心の中で言い返す。
『だいじょうぶですよ。あなたのお子さんはいじめる側ですから』と。
 いろいろ理由があって本当に言ったわけでないのが残念だが、教師歴を何年も重ねている人は同じ思いを何十回もしているのだろうと同情する。

 今、新聞を開いてもテレビを見ても雑誌広告の見出しを見ても、「我が子がいじめられないために」の特集が大人気だ。でも、こんなことをいくらやったところで学校からいじめは無くならないのはみんな分かっているくせにと思ってしまう。メディアが「被害者の側」をターゲットにするのはしごく簡単。その方が商売になるからだ。買う側は「自分は悪くない。悪いのは他者だ」という立ち位置で安心して記事を読むことができるしお金を払える。「世の中にはひどいことが起きているのだなぁ。うちの子は大丈夫だろうか」と安全地帯に立って考えを巡らせ、自分の心を痛めることもない。だって、私もウチの子も善人なんだもの。悪いのは私の周りのあの人たちなんだもの。

 本やテレビに、「あなたの子供がクラスメートをいじめている」「あなたの子をいじめっ子にしないために」なんて言われたら誰もそんなものにお金払わないよね。自分が悪人であるという立場に立たなきゃいけないんだから、誰も買わないよそんな本は。でも、そういう本が売れるようになったらいじめ問題もちょっとは変わるかも知れない。

 親が子を思う気持ちからすれば、うちの子がいじめられていないかを心配するのはしごく当然のことだ。が、いじめられる側といじめる側の数の比率から言えば、これはもう断然にいじめる側の方が多い。こんなの至極あたりまえのことだ。確率の問題としてクラスの中で石を投げればいじめられる子にぶつかるよりもいじめる子にぶつかる方が高いのだ。だから親は「うちの子はいじめられているのではないか」という不安を抱くのと平行して「うちの子は誰かをいじめてはいないだろうか」という疑念と向かい合わなければならないはず。世の中において誰もが被害者になる可能性があるのと同様に、誰もが加害者になる可能性もある。飲酒運転事故と同様で「そんなことは起きないから、大丈夫だってば」という意識でいるかぎりは、問題は解決しないのではないか。

 気が重いが、昔の思い出話を書こうと思う。

 小学生の時のことだ。私や、私の周りの男子生徒は、顔に傷のあるひとりの女の子を気味悪がって避けていた。避けていたなんてなま優しいものではなくて、何かの拍子に触ったりしようものなら『えんがちょ』である。まったくもって卑劣である。間違いなくいじめである。でも、あえて正直に暴露させていただくと、当時はそれに対し「ひどいことをしている」という感情はほとんど無かった。細かいことを書くと長くなるので省くが、その女の子の性格と、当時の担任教師の対応 …今思うとヒステリックな、かなりまずい対応をした教師だと思う… が言い訳となって、自分たちの卑劣な行為を正当化していた。だって気持ち悪いんだもん。だって腹立つんだもん。だって…

 4月。中学に進学した。その女の子も一緒のクラスになった。私の通った中学校は、私の小学校ともう一つの小学校、二つの小学校を卒業した生徒で成り立っている。授業中のことだ。別の小学校から来た男子生徒が、隣にいたその女の子から消しゴムを借りているのを目にした。休み時間、私はその男の子近寄って言った。
「あんなヤツからよく借りられるよな」

 卑劣の極みである。タイムマシンで戻ってあの瞬間の自分に会ったら力一杯殴りつけていることだろう。しかし私が話しかけたその直後、暴力で殴られるよりもガツンとくる言葉が返ってきた。彼はとても不思議そうな表情をしながら、質問してきた。

「なんで?」

文字にしてたった3つ。
「なんで?」
きょとんとした不思議そうな表情で。

 その瞬間、私の頭の中がぐらぐらした。自分の存在の小ささをはっきりと自覚した。男の子に話しかけたそのわずか1秒で、私はそれまでの自分の行動がどれだけ卑劣だったのかを思い知った。「一体、今までなにやってたんだろう」と足元が崩れた気がした。

 小学校の時に教師からさんざん言われ、逆に反発していた「からかってはいけません。のけものにしてはいけません。いじめてはいけません」の何百回の言葉よりも、その男の子の、何の嫌みもない「なんで?」の言葉に目が覚めた。そうだ、なんで俺はあの女の子を差別していたんだろう?なんで気味悪がってからかっていたのだろう?なんで?

なんで?

なんで?

顔に傷があるからなのか?

 …くだらねえ。

 その瞬間から、その女の子を差別する感情は無くなった。(と言っても別に仲良くなった訳じゃないけれど)

 差別やいじめは、当事者がその卑劣さを自覚しないかぎり反省も後悔も解決も生まれないと思う。なくすことに労力を使うのも良いが、いじめとはいかに「くだらないことをしている」のかを自覚させる必要があると思う。とりわけ子供のいじめは、いじめる側に悪いと思う自覚なんて持っていない子がほとんどなのだ。
posted by ちゃきん at 15:19| Comment(1) |