2005年11月08日

自分に座布団一枚あげたくなった返答

忘れないうちに書いておこう。一ヶ月くらい前のことだ。


何がきっかけだったのかは忘れたが、モモはカメラ用のブロア(空気で埃を飛ばす手動ポンプみたいなもの)がとてもお気に入りだ。 たとえ巣の中で寝ていようとも、ゲージの外でブロアを握って『ぷしゅ。ぷしゅ』と鳴らすと、ごそごそと這い出てきてガシガシとブロアの先端をかじる。これをやっている時は、ひまわりの種も全く目に入らないくらい熱中しているのだ。試しにブロアを引き離そうとすると、えらい剣幕でしがみつき、「ぜったいに放さないからね!」という表情(かどうかは微妙だが)で引っ張る。その必死さがえらく面白い。


ブロアの先端から空気が出る度に、モモのほほ袋がまるで風船のように膨らんだりしぼんだりする。それが気持ちよいのか、とにかく彼女はブロアに夢中だ。いやちょっと待て。「お気に入り」とは書いたものの、もしかするとモモは「敵」として攻撃を仕掛けているだけのかも知れない。そのあたりは実際に聞いてみるしかないのだけれど、質問してもモモはちっとも答えてくれない。(当たり前だ)




意地悪してひっくり返されても、恍惚の表情でブロアをガシガシと噛むモモさん。 頬が膨らんでます。


『こいつ、バッカじゃねぇの?』とか思いつつモモと遊んでいると、それを見た妻が、 「ダンナさまは、ヘンな生き物が好きなんですねぇ」 と言った。


 


 


そうだよ。だからキミと結婚したんじゃないか。


 

posted by ちゃきん at 18:14| Comment(2) | 日記

2005年11月22日

好みの変化



北方文化博物館


歳をとるといろいろな嗜好が若いときとは違ってくる。そんなことをここ2年くらいで、ものすごく実感している私は、もう、誰はばかることのない立派な中年である。


食べ物の好みは巷で言われるように、まず脂っこいものが好きではなくなった。ついでに動物性たんぱく質もほとんど体が欲しなくなった(けっして嫌いになったわけじゃないけど)。  中学生のときなんて、とにかく肉、肉、肉! だったけれど、今では本当に「肉はたまに食べればいいや」になった。実際最近は日々野菜を食って生きながらえている。そのうち羽が生えて蝶になるのではなかろうかと思うくらいに、菜っ葉ものばっかりの時期もあったくらいだ。


若いときには、成長に必要な栄養分を自然と体が欲する。まずは糖分、そしてたんぱく質。したがって一般的に子供は甘いものと肉が大好きだ。私も中学のときは魚なんてちっとも食べたいと思わなかった。ぎらぎらと脂がテカる肉をひたすら食べたかった。ところが体が成長しきると、糖分もたんぱく質も不要になる。日々エネルギーにしやすいものだけほしくなる。(知ってますか?動物性タンパクを消化するにはものすごいエネルギーが必要で、体に負担がかかるんですよ。「肉だけ」食べていると体重が減るんです)  そうした自然現象によって、食べ物の嗜好も変化していく。とまあ、そんな感じ。


食べ物の好みが変化するのは、明白な科学的理由があるから納得もするのだけれど、不思議なのはもうちょっと感覚的なものまで変化してきたこと。それはたとえば風景だ。


若いときは春の時期、草花が芽吹き、桜が咲いている風景が好きで、秋の紅葉の風景などちっとも好きではなかった。しかし今日、新潟の豪農の館をいくつか巡り、素晴らしい庭園に色づく木々を見る自分の視線が、かつてとは全く違っていることにちょっと驚いた。多分、今のドキドキした感覚は、もはや来年の桜の時期には味わえないのでは無いかと思う。若い頃には大して好きではなかった紅葉の風景に、なんだかとてもドキドキするのだ。


なんでだろう? 私は結構理屈っぽい性格なので(だってオヤヂだもの)、自分の嗜好の変化に理由を求めてみた。


うーん。それはやはり体が共感するものが変わってきたからじゃないかと思うのだ。


若いときは、「これから芽吹く命」に体が共感して、新緑の淡い緑や、咲き乱れる桜にドキドキした。ところが40を過ぎて、体が共感する対象がシフトしてきたんじゃないかと思うのだ。それはつまり、「これから枯れゆく紅葉たち」に共感を覚えるようになってきた。って、ことなのだろうか。なんとなくそんな気がする。


うーん。

書いていると辛気臭くなるぞ。暗くなってくるぞ。まだ私は枯れるつもりはないのだが。




市島邸

posted by ちゃきん at 18:12| Comment(2) | 日記