2005年09月08日

「新潟発」村上特集

「新潟発」05年秋号 村上特集 780円 恒文社


 まるで愛人でもいるかのように、村上に通った結果が出来上がりました。村上では9月10日から「屏風まつり」が開催されます。もちろん私も妻と行く予定。春先にもJTBの「るるぶ」で村上を担当し、取材に行ったのですが、今回さらに濃密?に村上に行き、かなりこの街が好きになりました。


村上特集のうち、歴史ページ以外はほぼ私が書きました。屏風の部分と日本酒広告部分は編集者とカメラマンとの3人で三日がかりで取材したのですが、24ページから29ページにかけては写真も含めて、自分ひとりで取材にまわりました。


薄暗い屋内での撮影なので親の三脚を借りて撮影に向かったのですが、縦位置の取りにくい三脚なので苦労しました。しかも当日はフェーン現象のためにものすごい暑さ。 気温の暑さと緊張から汗びっしょりになっていた私に、取材に応じてくれた人たちもびっくりしたことでしょう。 室内の自然光で撮影したのですが、自然光といっても本当に自然の光だけでは真っ暗になります。村上の町屋はそういうつくりなのです。したがって部屋の中の蛍光灯や電球の明かりで撮影するのですが、そうなってくると今度はホワイトバランスをとるのが難しい。とにかくすったもんだの挙句、「えいやっ!」と、カメラ任せのオートで撮ったりしてました。でも28ページの箱階段は、それなりに雰囲気を出せて撮影できたと思うのですが、どうでしょう?


確かにフィルムカメラに比べると、再現できる色の幅でどうしても劣るデジタルカメラですが、一度これに慣れるともうフィルムに後戻りできません。「島へ。」の仕事も、実は出来ればフィルムで撮影して欲しいとお願いされたのですが、こちらのわがままでデジタル撮影にしてもらいました。 ちなみに使用しているのはNikonD70です。これはアマチュア向けのデジタル一眼であってプロフェッショナル仕様のカメラではないのですが、ほとんど何の問題もありません。


ちなみにデジタルカメラといえばどうしてもまとわりつくのが画素数。いまや携帯カメラでも200万画素とか平気であります。NikonD70は最高で約600万画素なんですが、実は私、よほどのことが無い限りは300万画素のモードで撮影しています。A4の大きさをフルに使うのであればともかく、カット程度の写真ならば300万画素で十分です。これから購入予定の人、仕事で使うならまだしも、個人利用程度なら画素に振り回されないほうがいいですよ。私の携帯電話にも200万画素のカメラがついているのですが、フルサイズで撮った写真の画質なんか「だまされた!」以外の何物でもないですから。


まあそんなわけで、「新潟発」。買って下さいぜひ。新潟県内での書店が中心ですが、一応全国発売の本です。東京あたりなら大きな書店に行けば入手できる。。。はず。

posted by ちゃきん at 16:30| Comment(8) | 日記

2005年09月14日

町屋の屏風まつり



益田甚兵衛酒店


村上の「町屋の屏風まつり」に妻と行ってきた。
村上市内の民家、あるいはお店がそのままギャラリーとなって、それぞれの家に代々伝わる屏風が、生け花や古民具などと一緒に飾られる。展示されている屏風も民具も、江戸時代末くらいのものから昭和初期のものまで様々だ。
100年、あるいはそれ以上の歴史を重ねてきた品々が主役のまつりだが、この屏風まつりそのものは2001年に始まったばかりの新しいイベントだ。


村上には、400年近くの歴史がある村上大祭という祭りがある。 家々では、この祭りの時に道路に面した部屋に屏風を立て、その前で親戚や近隣の人、友人などが集まって飲み食いしながら騒ぐのが昔の村上大祭の光景だった。しかし、昭和も終わりになる頃には、屏風は土蔵の奥深くにしまいこまれ、村上大祭の時にも飾られることはなくなっていった。


「埋もれてしまった村上の文化に、光を当てよう」


衰退していく一方の村上商店街の将来を憂い、この新しいイベントの働きかけをしたのが、鮭の加工品などを作っている「味匠 きっ川」の若旦那、吉川真嗣さんだ。商店会や青年会などの会議から生まれたアイディアではなく、たった1人の村上の将来への危機感から生まれたイベントが、たった4,5年でここまで大きくなったのがすごい。


城下町であり、戦災にあわず、新潟地震にも大きな被害がなかった村上では、古くからの生活用品が沢山眠っている。3月に開催される「人形さまめぐり」や、この「屏風まつり」によって、『今まで何が入っているのか良く分からなかった』土蔵の中を掘り起こすこととなり、その結果江戸から明治、そして昭和の戦争中にかけての生活の品々が眠っていることが分かったという。 中には、「一体なにに使うやら良く分からないままに、見た目がきれいだから飾っておいたら、観光客に用途を説明されてようやく理解した」ようなものも多くあったという。特に今回の屏風については、鑑賞に訪れたて来た、書に詳しい人、絵画に詳しい人から説明されてようやく意味を理解した屏風の持ち主も多いらしい。というか、ほとんどの人がそうだったらしい。


今回屏風まつりに直接参加しているお店と民家は約60軒。それ以外にも、玄関から見えるところに屏風を立ててゲリラ?参加している家を沢山見た。60軒もあるので全てをまわることは無理だろうから、ある程度有名どころに絞らざるを得ないだろう。これから初めて行く人のために、私が見てきた中からいくつか書いておく。


「やまきち」「九重園」「山上染物店」「きっ川」「松本園」「早撰堂」「吉川酒舗」、そして私としては商店街から少々離れた場所にあるのだが、「益田甚兵衛酒店」にも足を運んで欲しいと思う。


9月30日まで開催しているので、暇な人は当然として、忙しい人も時間を作ってでも一度は見に行くことを強く勧める。閲覧は全て無料だが、あくまで各家での好意で公開していることを忘れずに。入るときの挨拶、見た後のお礼など、人としてのマナーが欠落している人は行っちゃダメ。写真撮影不可の家もありますから注意。




味匠 きっ川

posted by ちゃきん at 14:11| Comment(4) | 日記

2005年09月20日

日本酒の精米歩合

村上ついでに、取材を通してちょっと考えてしまったことについて記す。

村上市には酒蔵が二つある。最近は大洋盛で有名になってきた大洋酒蔵と、日本酒好きなら知らない人はいない「〆張鶴」を生産している宮尾酒蔵だ。現在、どちらの蔵も全ての酒で精米歩合を60パーセント以下にしているという。

ここで、簡単に精米についておさらいしておこう。
私たちが日常食べているお米は、玄米の表面を削り取って精米をしている。なぜお米の表面を削り取るかというと、表層にある胚芽や脂肪、灰分が味や香りを悪くするためだ。そして玄米に対する白米の重量パーセントを精米歩合と読んでいる。具体的に言うと、私たちが食べている白米は精米歩合が約92パーセント。つまりお米の8パーセント近くを削り取っていることになる。
これが日本酒造りとなると、更に精米率が上がることになる。一般にどんな日本酒でも75パーセント以下に精米する。そしてこれはあくまで一般論としてだが、精米をすればするほど良いお酒となる。品評会などに特別出品するお酒には、精米歩合が35パーセントのものも珍しくない。なんとお米の65パーセントを削り取ってしまうのだ。

昔は精米機の性能が今ほど高くなく、また、酒蔵が独自に精米歩合を上げるには技術的にもハードルが高かったらしい。ところが現在はかなり様子が変ってきた。精米機器の性能が上がり、昔だったら割れてしまったような高い精米歩合でも、安定して出来るようになった。したがって酒蔵は競ってこの高性能の精米機を導入し・・・と言いたいところだが、実際には精米機に掛けるコストや設置場所、人件費や技術などいろいろな要素があって、ほとんどの酒蔵が精米に関しては外注に出しているという。「精米する」というのはあくまで客観的でテクニカルな部分だし、その蔵独自の差別化を図れる部分ではないので外注に出すのは当然のことともいえる。新潟でいえば、県内ほとんどの酒蔵は新潟ケンベイに精米を出しているとのこと。ただ、宮尾酒蔵はいろいろな理由から今でも自社精米だという。

ご存知とは思うが、日本酒の原料や製造工程を分かりやすく表示するために、「吟醸酒」「純米酒」「本醸造酒」などが用いられている。先に述べたように、あくまで一般論としてだが、お米の精米歩合をあげればあげるほど高級な日本酒となる。昔は二級酒、一級酒などという区別があったが、あれは単なる税金徴集のための仕組みであって、お酒の品質とは全くといってよいほど関係ないものであった。今ではこの級分けは廃止されているが、ある程度消費者に分かりやすい基準を示す必要があったことから、それまでは漠然とした日本酒用語だった「吟醸酒」に対し明確な数値基準が設けられることになる。基準値は以下の通りである。

本醸造酒 精米歩合70パーセント以下
吟醸酒 精米歩合60パーセント以下
大吟醸酒 精米歩合50パーセント以下

当然だが、本醸造酒よりは吟醸酒が、吟醸酒よりは大吟醸酒の方が高価だ。

ここでようやく話は最初に戻る。大洋酒蔵も宮尾酒蔵も、全ての酒で精米歩合60パーセント以下にしていると書いた。つまり、基準から言えば出荷する全ての酒に「吟醸酒」のラベルを貼ることが許されている。吟醸酒と名がつけばそれなりの値で高く売ることが可能だし利益も高くなるだろう。だがしかし、実際はどちらの蔵もそのようなことはしていない。どちらも蔵として考える「吟醸酒」のレベルを超えたものにしか、そのラベルを貼っていないのだ。このあたりが蔵としての見識というものだろう。

8月末になって、別件の仕事で酒蔵の取材に行った。応対してくれた重役氏からは、コロンらしい香りが漂っていた。私のインタビューに応えながらタバコを吸われていた。
この男性はあくまで蔵の経営者であって直接的に蔵で酒を醸しているわけではないから、コロンをつけようとタバコを吸おうと自由なのだが、正直なところ気分が萎えた。この蔵の酒は昔から結構好きだったし、今でもとてもよい酒だと思うのだけれど、この取材でちょっと気分が萎えたのは正直な気持ちだ。宮尾酒蔵訪問の時なんて、ますますファンになってしまったのにね。

取材の帰り際に、一本のお酒を頂いた。本当に地元でしか販売していないお酒だという。家に帰って箱から取り出してみると「吟醸酒」のラベルが貼ってある。私の視線はラベルの隅へ移動し、あるものを探す。案の定というかなんと言うか、「精米歩合60パーセント」の記載を確認した。確かに基準上は吟醸酒に間違いないのだが、大洋酒蔵と宮尾酒蔵の取材後だと『なんだかなぁ』というのが正直な気持ちだ。もちろん日本酒は舌で味わうものであって数値で味わうわけじゃないから、こういったものに振り回されるほうがバカな消費者なんだろうけどさ。

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ところで、このエントリーを書く際に精米歩合について調べていたら、気になったことを発見した。

吟醸酒などのこれら表示基準は1990年から適応されているのだが、2003年に「純米酒」の製法品質要件から「精米歩合70パーセント以下」が削除されている。つまり現在は原料として「米、米こうじ」のみを使用(つまり醸造用アルコールや糖類など無添加)していれば、仮に精米歩合80パーセントでも純米酒の表示が可能となる。これはあらぬことを勘ぐりたくのも仕方ない改定だ。もっと怖いことには先に述べたように、普通はどんなお酒も精米歩合75パーセントまでは削るので、当然沢山の米ぬかが出る。お酒を不味くするからこそ削り取った部分なのだが、もしもこっそりとこの米ぬかでお酒を造ったらどうなるのだろう? お米には間違いないわけだから、それってやっぱり純米酒? これは漫画「夏子の酒」にも出ていた話だけれど、もしかすると現実になってしまった?

昔だったら高価だった純米酒や吟醸酒が、最近は1.8リットル紙パックでずいぶんと安く売られている。私なんて味のよくわからんちんのバカ消費者だから、「おお、こりゃまた嬉しいね♪」なんて買ったりしているけれど、やっぱり騙されてるのかなと不安になる。
posted by ちゃきん at 11:47| Comment(2) | 日記

三川旅行

18日に三川にあるきのこ園に行ってきた。園内ではきのこの即売所、きのこ栽培所、レストランがある。昔ここに遊びにきたことがあるという妻の記憶では『林の中がキノコの栽培所になっていて、観光客はそれを自分で刈ることができる。刈った重さによって料金を取られるけれど、入場そのものにはお金は掛からない』とのことだった。確かに入場そのものにお金は掛からなかったが、園内の様子は妻の行った頃とはずいぶん変っていたようだった。


まず、キノコは林の中に栽培されているのではなく、林の中に種菌糸が植え付けられているパックが整然と並んでいて、そこからにょきにょきと生えていた。 確かにキノコ園には間違いないが、これではキノコ狩りの趣など皆無だ。まさしく屋外にあるキノコ工場そのもの。しかも、既に先客に刈られまくった後で、残っているのは写真の「たもぎ茸」のみ。シメジやマイタケなどは影も形もない。


それにしても今やシイタケすらも、このおがくずのような栽培床で育てられていることに驚く。なんだか本当に「人口栽培」という感じであまり美味そうには見えないのだけれどね。


ところでこのタモギタケ。恥ずかしながら私は今まで食べたことも聞いたこともなかった。いやもしかすると知らないうちに食べていたのかもしれないが、少なくても今まで意識して食べたことはない。どんなものかと栽培所を見ると、かなり毒々しい黄色。森の中で偶然に発見しても、絶対に手を出さないだろう色だ。これを食べたら三分後にピンク色の象さんが私の周りで踊り始めて天国に行くような気持ちになって、で、本当に天国に行っちゃうのでは無いだろうかと疑問を抱くような、食べるキノコとしてはちょっと勇気のいる色である。どんな味なのか興味があるので帰りに即売所でこれを購入、早速夕飯で食べてはみたものの、いろいろと他のキノコも混ぜて食べたために、なんだか良く分からん。実に無駄な食べ方をしてしまった。


園内のレストランでキノコ汁を頂く。320円。大きすぎておそらくスーパーでは売り物にならないのではないかと思えるような、傘の大きくて肉の厚いキノコがこれでもかとばかりに入っている。これ一杯でそこそこお腹も膨れる。ところでキノコって栄養あるのだろうか?あまりありそうには見えないけれど、どうなんだろう。



きのこ園の後は、奥阿賀を探索。写真は不動滝の一の滝。落差が10メートル程度しかなく、このときの水量が少ないこともあって迫力的にはだいぶ不足している。この写真の奥には二の滝があり、こちらの落差は23メートル、それなりに絵になる光景だ。滝つぼの岩壁の中に不動明王が祭られていた。

posted by ちゃきん at 16:25| Comment(0) | 日記

2005年09月29日

一日の最初は玉子できまるのだ

毎日ではないけれど、割と多くの朝に玉子で何かを作る。その日の玉子料理が上手くいくと、なんとなくハッピーな気分で一日を迎えられる。玉子料理といっても所詮は目玉焼きかオムレツのどちらかなのだけれど、これはこれできれいに仕上げるのはなかなか大変だ。


目玉焼きなんてフライパンに玉子を落として水を入れ、ふたをしてしばらくすれば出来るものだ。しかしこれを見た目まできれいに作ろうとするとなかなか難しい。適当に作ると、まるで月面クレーターのように、古くは坂本九ちゃんのように、最近で言えばヤンキースの松井の顔面のように、でこぼことなってしまう。こんな目玉焼きは美しくない。私が望む表面はあくまでつるつるてかてか。降り積もってまだ誰も足を踏み入れていない新雪のような状態であることが望ましい。


面倒くさい問題が我が家には一つある。目玉焼きに限らずだが、私は玉子の黄身はとろりとした状態が好みだ。たとえば目玉焼きである。これをアツアツのご飯の上に乗せ、醤油をたらしたらおもむろに黄身の部分に箸を突き立てて破く。黄身がトロリと流れ出しご飯の上を覆おう。これを食う。美味い。とても美味い。これは炊きたてのご飯じゃなければ絶対にダメだ。百歩譲ってご飯の代わりにあっさりと焼いたトーストの上に乗っけるでも良いけれど、当然これも黄身はトロトロの状態じゃなければ全く意味が無い。だがしかし、妻は「黄身はカチカチに固まってなければイヤ」派なのだ。私が観察している様子からすると、それは黄身カチカチが美味しいからという理由ではなく、そちらの方が箸でつかみやすくて食べやすいからなんじゃないかと推測している。


そんなわけで我が家で目玉焼きを作るには時間差攻撃になる。どこが攻撃やねん。

先に私の食べる方をフライパンから取り出す。それから約2分、妻の分はそのまま焼き続ける。そういう面倒くさいことをして我が家の目玉焼きは出来上がる。でも考えてみると、妻のそれが仕上がるまで私の目玉焼きは放置されることとなり、あぁ、せっかくのアツアツ状態が・・・。


で、写真は今日のオムレツ。味はフライパンに引いたバター程度で他は何もついていないプレーンなやつだ。比較的上手な形に焼けたので記念に写真を撮った。単純なヤツと笑いたくば笑え。フライパンを傾けて、「トントントン」と叩いて寄せて、あらよっと巻いていくのはなかなかに奥が深くて難しく、そして楽しい。せっかく形だけは上手に出来上がったけれど、完全に中まで火が通ってしまってこれでは玉子焼きだ。私はがっかりだが妻はこっちのほうが好みだと喜ぶ。私は勝ち負けで言うと負けた気分に浸る。オムレツを焼くのは難しくて面白い。本当は毎日でも作ってみたいのだけれど、腕前が上達する前にこちらの体のコレステロール値が上昇しそうなので自粛している。


 

posted by ちゃきん at 11:50| Comment(0) | 日記

2005年09月30日

小春日和

「こんな小春日和は、」と山口百恵が歌っていたのは私が中学生の時だったろうか、もしかするとまだ小学生だっただろうか。当時は小「春」日和というくらいだから春の天気のことなのだろうと単純に考えていた。ちょっとでもモノゴトを考える頭があれば、曲名が秋桜(コスモス)なのに、季節が春じゃおかしいだろうと気がついたはずだ。所詮私はその程度の単純思考しか持ち合わせていなかったのだ。それは今でも大して変っていないような気がするけど。


でも、実際にこの時期はまるで春のような気候である。私のようなノータリンが言葉で間違うだけでなく、植物だって春と勘違いして、公園ではタンポポが咲いていたりする。咲いた後で「うわー、こりゃ困りましたわ。春とちゃいますやん。これから冬ですかいな。ほな私はどーしたらよろしおますか?」なんて、インチキ関西弁で慌てている様が目に浮かぶのである。どーゆータンポポですか。


posted by ちゃきん at 17:50| Comment(1) | 日記