2004年10月15日

あまりオモテ向きではない内容。あるいは日々垂れ流し駄文。あるいは感情でっぱなし。あるいはそれこそ単なる日記。

と、まあそんなもののための裏サイト。
posted by ちゃきん at 14:51| 日記

普通のラーメン

いろいろと価値観が異なる私たち夫婦だが、なぜかラーメンの好みは一致している。
若いという時期を通り過ぎたせいなのかもしれないけれど、困ったことに私たち夫婦はいまどきはやりの脂っこいラーメンが苦手だ。 

ラーメン自体は好きなのでいろいろなお店に行ってはみるものの、「いろんな食材をン十時間煮込みましたっス!」という感じの濃い色のスープが出てくるとちょっと暗い気持ちになる。 そこに背脂がプカプカと浮かんでいると更にめげそうになる。

もっと普通のラーメンが食べたいのに。

もともと新潟には、新潟ラーメンともいうべきあっさりしたスープのラーメンがあった。ところが今のご時世の「一生懸命がんばってるっス。ラーメンは芸術っス」といったような、私にとっては実に迷惑な風潮のために最近はこの純粋な新潟ラーメンをほとんど見ることができなくなってしまった。「さあ、どうだっ!」とオヤジに睨まれているようなラーメンは正直言って疲れる。 もっと普通のラーメンがいいのだ。私たちには。

高校生の頃から実家近くにある定食屋のラーメンが、いま私たち夫婦の共通のお気に入りだ。 もちろん私は昔からそこのラーメンが好きで、東京にいたころも新潟に帰ってくるたびに一回は必ず行っていた。(ちなみに現在東京在住の私の妹も同様の行動をとる)

本当にごくごく普通なんだけれど、ここ以上に「おしいね」と二人で共通に言える普通のラーメンは、まだ私たち夫婦にはない。

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posted by ちゃきん at 15:42| Comment(3) | 日記

2004年10月25日

命のリレー

小学校2年生くらいの時だったと思うが、勉強の一環としてクラスで蚕を飼っていた。繭になるまでを観察するのだ。土曜日になると児童の一人が代表して自宅に持ち帰って世話をする。

手渡された箱には気味が悪いくらいに色の白い蚕がうじゃうじゃと這っていた。今日と明日、二晩私はこの蚕の面倒を観なければならないのだ。
桑の葉を与え、乾燥しすぎないように気をつける。そして月曜日にはクラスの蚕を無事に学校に持って行かねばならぬ。

子供心にものすごく緊張したことを覚えている。もしも自分が失敗してしまったらどうなるのだろう。ここまで皆が引き継いで育ててきた蚕を死なせてしまったらどうなるのだろう。頭がくらくらした。
それまで、虫を飼っても金魚を飼ってもおたまじゃくしを飼っても、そしてリスを飼ったときでさえ途中で面倒くさくなって簡単に殺してしまっていた。 でもあの蚕の箱を受け取った時、ガキだった私は生まれて初めて命を育てる重みを感じた気がする。




「磐田戦に行こうかねー?」などとのんきに妻と話をしていた20日。私の祖母が亡くなった。

90歳近くまで生きた祖母の葬式は比較的淡々と行われた。私の年下の従兄弟(女性)が、二ヶ月前に生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて、安らかに眠る祖母の棺を覗き込んでいた。
終わりを告げた生命と、これから始まる生命のコントラストになぜか私は ぐっ と来た。

棺の中に眠る祖母がこの世に生を受けなければ、あるいは若くして死んでいたならば、今、目の前で彼女が抱いている赤ちゃんはこの場に存在しなかった。
祖母の前にも沢山の命のリレーが何百年も何千年も引き続けられて来た。そして私がいる。途中で誰かが「やーめた」とリレーを引き継ぐのを放棄してしまったら私はいなかった。そんなあやういリレーを営々とやってたきのだ。

「苦痛の無い方法」で自殺を試みたネット上で知り合ったという男女は、小学生の時に蚕の箱を預からなかったのだろうか。その重みを感じなかったのだろうか。
posted by ちゃきん at 19:14| Comment(0) | 日記

2004年10月26日

度胸があるやらないのやら

テレビで鹿島アントラーズ×浦和レッズの試合が終わった丁度その時、地震が起きた。
どすんという音と共に、ここ新潟市も相当に大きく揺れた。

揺れの大きさ自体も驚きだったが、30分の間に何度も何度も大きな余震が襲って来るのは未体験であった。 余震は直接的な大きな揺れが収まった後でも、まるで船に乗っているかのようなゆっくりした揺れが1分ほど続くのだ。「巨人の手のひらでゆっくりと転がされている」ような、そんな感じの揺れは生まれて初めて体験した。

自慢じゃないが、私はずいぶんと冷静だったと思う。
バタバタと慌てるわけでなく、かといって固まっていたわけでなく。 一回目の地震で、今まで私が経験してきたそれとは全く違うと確信したので、揺れが収まった段階で通帳や着替えの衣類などをリュックの中に詰め込んで避難のための用意をした。

2度目の揺れが収まった時、私たちはリュックを担いでアパートの外に脱出。
しかし、周りの家の人は安心しきっているのか、それとも固まっているのか、屋外に出てきている人は本当に少数だった。 ましてや私たちみたいに避難の支度をして出てきている人はいなかったように思う。リュックを背負い、防寒のためにモコモコに着膨れている自分たちがさすがにちょっと恥ずかしくなった。

揺れが収まると部屋にもどり、玄関に厚紙を挟んでしまらないようにしておき(地震でゆがむとドアが開かなくなるため)、また地震がくると外に脱出。 そんなことを2・3度繰り返した。一時間ほどすると、ある程度揺れの頻度も収まってきて部屋に落ち着けるようになった。

私も決してすべての状況において冷静であるわけじゃないけれど、ここまで人知を超えた天災については腹をくくってしまう。というか、要はつまりあきらめちゃうのである。 どうせ人間ごときがバタバタ騒いだってどうにもならないのだ。だから腹をくくっちゃう。 この領域になると私は結構冷静だ。 ただ、余震が続く夜の9時に、いつもどおりにビールを飲もうとしたのはさすがにいかがなものかと反省したが。(冷蔵庫から缶ビールを持ってきた瞬間、妻にえらいこと叱られた)

問題は妻だ。
もともと精神的にひ弱なところがあった彼女は、かなりショックが大きかった様子。 さらに、彼女の妹が地震の被害が大きかった十日町にいることもダメージに拍車をかけてしまったようで、顔色がまるで酔っ払っているかのように真っ赤。そして「クルマ酔いをしたようで、吐き気がする」とふさぎこむ。 体温を測ると37度5分。

滅入っているくせに妙なところで生真面目だから、部屋から逃げる時もパソコンをきちんとシャットダウンしようとする。そんなの放っておけばいいのに。

このように、がさつなんだか余裕があるんだかよくわからない私に比べると、妻は悪いイメージが頭に浮かぶととことんそのイメージに絡め取られてしまう。そして益々どつぼにハマっていく。

どうしたら冷静になれるのか。どうしたらパニックで体調を崩すことなくいられるのか。 私たちは夜アイディアを出し合った。

妻は高校時代に演劇をやっていたことがあるらしいので、私はこう切り出した。

「地震がおきたら、『これはお芝居なの。地震のシーンのお芝居なの。これから私は避難するためのシーンを演じるのよ。さあ、みんな。私の芝居をごらんなさい』と、自分自身に思い込ませるってのは、いかがだろう?」




さて、地震のあった23日から既に3日経過した。実は今我が家は足の踏み場を探さなければならない状態である。 地震で家財が倒れているのではなく「地震が来ても家財が倒れないように」はじめから床に転がしているのである。皿とか茶碗とか鍋とかフライパンが台所の床に所狭しと置いてある。夜寝ぼけていると踏みつけてケガをしそうだよ。いくらなんでもそろそろ片付けようよ。妻。

既に余震も相当減ってきて新潟市は生活するのになんの問題も無いのに、相変わらず妻は夜になると不安で不安でたまらないらしく、布団に入っても1-2時間程度しか熟睡できていないらしい。 私が隣で すぴーすぴー と鼻息を立てて寝ていて、さらには震度2程度の余震では目を覚まさないのがうらやましくも憎いらしい。
結局妻は私が提案した 『私は地震のシーンを演ずる女優なのよと思い込む作戦』 が成功してないということだ。

ま、それが簡単にできるのならば、妻は今頃北島マヤになっていて私と結婚なんてしてなかったわけだが。
posted by ちゃきん at 21:13| Comment(0) | 日記